
この歳になっても、まだ心のどこかで巨大ロボットに乗って戦うことを夢見ている。
しかし巨大ロボに乗るには条件がある。
それは本人が望まないのに乗って戦わざるを得ないと言う状況。
ガンダム以前の主人公たちはそこのところに無頓着だった。
まるで生まれる前から運命付けられたように凛々しくコックピットに座り、
手馴れた様子で必殺の武器を繰り出していた。
とても非現実的な、楽天性に満ちた設定。
庵野秀明がエヴァンゲリオンを生み出した時、最も苦労したのが
戦うことを望まぬ主人公をいかに矛盾なく初号機に乗り込ませるかと言うことだった。
つまり巨大ロボに乗って戦うことを夢見る人間は乗る資格がない。
なんというジレンマだろう。
「ぼくらの」における主人公たちの運命は悲惨の一言に尽きる。
戯れから生じた契約で、命と引き換えにジアースを駆り、
理解しがたい敵との戦いを強いられる。
そこに勝利の喜びはない。
ロボットアニメ史上、もっとも憂鬱な戦いがそこにはあった。
原作者の鬼頭莫宏は穏やかなマゾヒストだと思う。(サディストではない)
主に力のない、年端の行かない少年少女を悲惨な目に合わせ、
そこに自己を投影して恍惚としているフシが感じられる。
その陰鬱な雰囲気を見事にアニメ化した「ぼくらの」は
最後にカタルシスとも言える悲劇があった「School Days」を上回る鬱アニメとなった。
「アンインストール」を作り上げた
石川智晶は、自らの歌が冠せられる
物語の構造を実によく理解していた。
主人公たちが戦うたびにひとり、またひとりと抜け落ちる状態を
Uninstallという言葉に託した慧眼は恐るべきものがある。
きらめくような旋律に包まれて力任せのロボット戦を戦う少年少女たち。
特にチズとダイチの戦闘シーンはアニメ史に残る名シーンだったのではないか。